【実録】離婚裁判でなんで親権失うの?3つの理由と社会背景

2020年6月8日に離婚裁判を申し立てられた私はまもなく親権を失います。

これまでの簡単な経緯
 ※私が申立人
2017年12月「子の引き渡し・監護者指定の審判」開始
2018年某月「即時抗告」棄却
2020年2月「離婚調停」不調
現在「もうなにもしない作戦」約4ヵ月経過

2017年夏に愛息子タロジロたちと一緒に家を出てから、なにかしらアクションを起こすのは私です。なのにタロジロは今いない。

ええ。各ターニングポイントにおける、私の選択はもはや秀逸的にアホなんでしょう。

せっかく親権を失うので今の気持ちをしたためがてら、裁判所で親権を失う3つの理由を書き留めます。

離婚裁判でタロジロの母はなんで親権を失うの? 

離婚裁判をすると私が親権を失う理由は以下の3つです。

  • 理由①マダ夫が監護者に指定されている
  • 理由②裁判所は現状維持を基本好む
  • 理由③DVや虐待などの明確な証拠がない

親権を失う理由①マダ夫が監護者に指定されている

日本では単独親権をもてる暗黙の了解があります。それはコレ↓↓

主たる監護者であること

日常的に子どものお世話を「直接的」にしている親が、家庭裁判所では親権者に適していると判断されます。お金を稼ぐことは「監護」の対象に入っていない点がポイント。

日本の親権制度を象徴する謎ルール

とはいえ謎なのもしかりで「親権の定義は曖昧」であるという法の専門家すらいます。

なので私たち一般人が親権について、明確に理解するのは難しいといわざるをえません。実際、親権について概要を知っている一般人は、ほとんどいないと思います。

監護者の指定は親権の中身にゆらいする

「監護者の指定」を親権者の要件として紐づけているのは、 親権の中身が下記の二つに分かれているからといえます。

  • 身上監護権→日常の子どものお世話
  • 財産管理権 →子どもの財産の管理

厚労省/親権者」によると、これらの権利と義務を子どもの利益のために行使するのが親権だそう。さてはて。

親権を失う理由②裁判所は現状維持を基本好む

裁判所は現状を変化させる判決を好まず、司法界隈では以下のようにいわれます。

継続性の原則

つまり子どもにまつわる争いでは、子どもと一緒に住んでいる親が、そのまま親権者に指定されることが多くなります。

親権を失う理由③DVや虐待などの明確な証拠がない 

親が有責(浮気や虐待・DVとか)でも、たいして問題にはならないようです。

えげつない浮気やえげつない虐待で「明確な証拠があれば」別です。しかし日常生活においてえげつないケースは稀です。子どもの意思を無視したり歪めたりするようなネグレクトは、どうでもいい内容として耳を傾けてもらえません。

しかも汚い言葉を投げかけられない心理的虐待は、社会ではほとんど認知されていないので助けるのは不可能です。

以上3点により私は離婚裁判で親権を失うそうな

離婚裁判で親権をあきらめる社会背景

私たちはひとり親が当たり前という、単独親権制の価値観で生きています。日本社会に受け入れられる家族像は数えるほどで、多様性のかけらもありません。

世界との差の開きは家族観からくる、視点乏しい人間の生産の繰り返しだと私は感じています。

単独親権を求めて抗う方法はありますが、私は親権にもう固執していません。貴重な人生の時間を無駄にするだけな気がするから。希少性の高い体験はしていますが、 すでに親権争奪戦で2年半が過ぎています。

今の日本で親権を失えば、私はシングルマザーにすら当てはまりません。子の親である事実を社会的に抹消されるようです。

婚姻していなければ子どもの親はひとりが日本国

婚姻と親権を混同させる世界観が、単独親権制度の日本社会です。結果、とんでもない問題を量産蓄積させています。問題の詳細もいつかご紹介できればと思います。

日本の親権制度についてプチ紹介

ほんの少しだけですが、日本の親権制度について触れておきます。

〇婚姻状態によって親権者が増減
・婚姻外→単独親権制度
・婚姻中→単独親権制度
〇先進国唯一の親権制度
・法務省24ヶ国調査で22ヵ国は共同親権採用
・G20加盟国はすべて共同親権制度

ヨーロッパ諸国からは「日本の家族観は17世紀レベル」と嘲笑されているのが現実らしいです。

未婚でも既婚でも離婚でも親と子は親子ちゃうん!?

親権なんて意味ないから差し上げます 

我が子と暮らせず親権を失う私を、可哀そうと思う人は多いみたいですが、意外とそうでもありません。親子、夫婦、家族について、深く深く思慮する時間が続いたせいか、今の心境はこんな感じ。

家族を不幸にする親権なんかいらん!

 

私たちは単独親権制でおかしくなった世界の中で、たまたま生きているだけです。親権をもっていなくても、私がタロジロの親である事実になんら変わりはありません。

私は多くの人からこんな言葉をよくもらいます。

『母親なのに』子どもと過ごせないなんて(可哀そう)

単独親権からくる価値観なのか、本質的な親子の価値観からくるものなのか。ほとんど前者の印象なのでちと物悲しいです。父親やったらええんかい!?

私があまのじゃくかもしれない説。
とはいえ慰めに感謝してます。

なにはともあれ私はタロジロに信頼されています。

これだけで私は十分。
人の幸せは人それぞれ。

タロジロへ 

「特別な日やから、ジロウの誕生日はお母ちゃんとこ泊まりたい」が、叶わずごめんよジロウさん。でもお母ちゃんの誕生日もジロウの誕生日も会えるやん。

裁判中は会う日が急になくなったりせんからラッキーや。

さてこの週末に向けて、タロウとジロウがどう行動するのか楽しみです。動くたびに見える景色はドンドン変わるからな。 

自分の頭で考えるのを忘れたらあかん。思考を停止させるのは楽やけどきっと楽しくない。おかしいと思ったら声あげるんや。怖いやろけどがんばれ!!

お母ちゃんがタロウとジロウのそばにいつでもおる。




きっと大丈夫。
あなたも頑張って。

しなやかな心と鬼メンタルの種まき